会社概要
運営会社名 | 株式会社 ケーディーエムファクトリー |
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本社所在地 | 〒737-0811 広島県呉市西中央4-1-4 |
電話番号 | 0823-22-4321 |
FAX | 0823-22-4408 |
代表者 | 代表取締役 児玉 嘉則 |
設立年月日 | 1890年(明治23年) |
従業員数 | 150人 |
業務内容 | 1.デリバリークリーニングサービス 2.クリーニング店舗運営 3.皮革バック クリーニング&リペア 4.コインランドリー店舗運営 5.ダストコントロー協栄工場 |
児玉クリーニングの浴革
呉に海軍鎮守府が開庁され、軍港として街が発展の兆しを見せ始めたこの年、創業者 児玉直吉が大阪より来呉。
元町(現、呉市本通3丁目)で洗濯業を開業する。
この年の1月15日を創業記念日とする。
※呉はのちの日清戦争、日露戦争、第1次世界大戦を経て、太平洋戦争が終結するまでの間、東洋一の軍港として栄える。
その為に当時は海軍軍人関係の仕事が主であった。
東二河通6丁目(現、呉市西中央3丁目)にクリーニングエ場を建て、移転する。
呉市内では機械としては初めての手廻し脱水機を据え付ける。
洗濯業として初めてアメリカ製小型洗濯機を据え付ける。
アメリカ軍による空襲により呉市中央部は焦土と化し、この時に店舗とクリーニング工場が焼失する。
※8月15日、終戦となり呉の軍港は解体される。
アメリカ軍の進駐開始と同時に東二河通3丁目(現、西中央2丁目)に本店を開店し、東二河通6丁目のクリーニング工場を再建してクリーニング業を再開する。
アメリカ軍キャンプの建設に伴い、同キャンプでの衣類等の洗濯を請負う。これに合わせて、洗濯機、脱水機等の設備を更新する。
呉駅前となる今西通2丁目(現、中央1丁目)に店舗を建設し、本店とする。クリーニング作業は従前の通り、東二河6丁目で行う。
2月1日、会社名称を有限会社 児玉クリーニングとし、会社設立登記をする。
※アメリカ軍関連の受注、及び海上自衛隊の発足に伴う受注増により、再び経営が軌道に乗り始める。
古川町(現、呉市西中央4丁目)に新工場の起工式を行う。
新工場落成、操業を開始する。
本社を呉駅前より古川町の新工場へ移転する。
安芸郡船越町(現、広島市安芸区船越南2丁目に広島工場を起工する。
広島工場落成、広島方面の営業基地として操業を始める。
(株)ダスキンの全国で14番目となる協栄工場として契約する。
広島工場に新規に水洗設備を設け、本格的にダスキン製品の洗浄を開始する。
安芸郡海田町月町に広島営業所(現、海田支店)を設立。
※広島方面の営業基地とする。
呉市西中央3丁目に本社事務所棟を起工する。
1月15日、児玉クリーニング創業100周年を迎える。
呉市広中新開2丁目に広営業所(現、広支店)を設立。
※阿賀、広、東広島方面の営業基地とする。
安芸郡府中町本町3丁目に府中営業所(現、府中支店)を設立。
※広島方面の第2営業基地とする。
広島工場を(株)ダスキンの総合工場、ダスキン広島工場とし、新たに物流棟を建設。全面リニューアルを行う。
呉市中央2丁目に児玉クリーニングの名称を使用しない新店舗、ドリームハウス呉中央店を1号店として、出店する。
当社で初めてのコインランドリーを併設した店舗として、広島市中区千田町2丁目にドリームハウスチ田町店を5号店として出店、営業を始める。
新たに家事代行サービスとして、ダスキン船越南メリーメイド(広島市安芸区船越南2丁目)の営業を開始。
新たにガラスコーティングサービスとして、グラシオン広島呉店(呉市西中央3丁目)の営業を開始。
6月1日 商号を『株式会社ケーディーエムファクトリー』に変更。